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2018.09.17

主宰メッセージ

タイのチェンマイ近くにある首長(くびなが)族の村を訪問した。
かつては、テレビでよく紹介されたものだ。
幼少期から真珠コイルを幾十にもまき付けていき、段階的に首を長くするらしい。
その由来はいくつか諸説があるらしいが、文字の無い民族だったことから確証を得ない。

さて、僕らが首長族をみると、SFに見えるほど違和感を覚える。
もし、日本の国民が真珠コイルを巻いて首を長くするようなことがあれば、何らかの精神疾患だとみられるだろう。
しかし、この民族にとっては、これが当たり前なのだ。
ここに「障がいとは何か」というヒントがあるように思える。


世界には、今もいくつもの少数民族が存在する。
ブラジル・アマゾン南部のムンドゥルク族は、子が乳児から幼児になると、母親も父親もほとんど世話をしない。
ベネズエラ南部のヤノマミ族は男性の死因の30%が暴力によるもので、25歳を超える男性の44%に殺人の経験があるという。
しかも殺人によって、集団内の地位が上がるとのこと。
ある学者は、反社会性パーソナリティ障がい、いわゆるサイコパスに近いとみる。
しかし、これも当該民族にとっては普通のことだと言わざるを得ない。
おそらく、先進国にとっての障がいが、ある地域では民族性というケースはいくらでもあると思うのは邪推ではないだろう。
また、世界の国々や地域によってIQの格差がある。
貧困が原因とする見方もあるが、IQ80以下の国々も少なくない。
反発を覚悟して、うがった見方をすると、今でも半裸で暮らす民族のIQはどれくらいなのだろうかと思うが、はっきりしているのでは、どうであろうとも、その国や民族においては、普通のことだということ。
そして、日本を含め、先進国では知的障がい者の認定を受けるかも知れない。

首長族の訪問で強く感じたことは、どこの国や地域で生まれたかで、障がい者かどうかが決まるということの理不尽さ。
障がいとは、そういうものでしかないということ。
マイノリティとマジョリティの関係は、もっと議論されるべきだろう。

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